こんにちは、井本整体フランス支部です。
昔、井本先生の操法を受けさせていただいた時のこと。
順番になり、受付の方に名前を呼ばれると、
操法室の入り口で正座で礼をして入り、
私の前の方の操法が終わるまで横に座って待ちます。
その日に生けられたお花が凛と背筋を伸ばして見守っている中、
井本先生はいつもと同じ場所に座っていらっしゃいます。
静かな心地よい音楽に包まれ、安心感と温かい気に包まれた空間です。
でも、安心感についリラックス、とはなりません。
前の方の操法が終わり、井本先生の前にたどり着くまでの数メートル、
いえ、もう操法室の入る時から、私の全ての動きは井本先生の目に入り、
なんだか手と足が一緒に動いてしまいそうなほど緊張します。
なぜなら、どんなに取り繕っても、何も隠せない、嘘がつけないのが操法。
もう全てを見透かされてしまう、私にとってはそういうところでした。
きちんと整体生活を送っていれば堂々と自分と向き合えるのでしょうが、
劣等生だった私、最初の頃はもう操法が終わると少しでも早く操法室から出たいと思っていました。
操法は井本先生から受けるもの、という印象がある方もいらっしゃるかもしれませんが、
井本先生の前に座るということは、実は自分と極限まで向き合う、そんな数分でもあるように思います。
さてそんな自信が全くない私、最後の頭の操法が終わり、井本先生が「よろしいですよ」というと、
膝をずりずりと座布団に移動し、正座をして向き直りました。
その時、操法で頭の下に敷いていたハンドタオルをくしゃっと丸めて自分の右側に置きました。
次の患者さんがすぐ横で待っていらっしゃる中、
井本先生の前で、ハンドタオルを数秒かけて畳んでいいのかもわからず、
さらには緊張と恥ずかしさと焦りと、それはもう色々な気持ちが混ざり、
それがくしゃっとしたハンドタオルになってしまったのです。
それを井本先生は、ほんの一瞬、見ました。
なんとも言えない目線で、1秒ほど、くしゃっと置かれたハンドタオルに目をやったのです。
私は心の中で「ああ」と声を出しました。
それ以来、ハンドタオルは畳まれて私の右横に置かれるようになりました。
形だけ畳んであってもだめで、整体生活を心がけ、下丹田を充実させ、
自身と向き合う努力をする、そんな思いで畳むようになりました。
ついそういう意識を忘れてしまい、何だかんだ言い訳をしながらのバタバタな日々。
今操法を受けることになったら、果たしてタオルがきちんと畳まれるのかどうかわかりませんが、
時々あの日の操法を思い出し、少し襟を正してみようと思う今日この頃です。
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